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ベルーナ 代表取締役社長 安野清氏
逆境を乗り越えた先にある“楽しみ”とは

市場の常識を変えるような華々しいプロダクトやサービスが日々メディアに取り上げられる今日。その裏では、無数の挑戦や試行錯誤があったはずです。「イノベーター列伝」では、既存市場の競争軸を変える挑戦、新しい習慣を根付かせるような試み、新たなカテゴリの創出に取り組む「イノベーター」のストーリーに迫ります。今回話を伺ったのは、カタログ通販大手ベルーナの創業者であり、代表取締役社長の安野清氏。同社はアパレルを中心に、化粧品やワインなど、さまざまな専門通販で増収増益を続けています。「仕事がほんとうに楽しい。死ぬまで働きたいね」と快活に笑って出迎えてくれた安野氏は、御年74歳。その笑顔の裏には、幾多の困難を乗り越えて勝ち得た“信念”が隠されていました。

 

若いころから「将来、すごいことを成し遂げるのでは」と言われていた

わたしは、これまでの人生でだれかを目標にしたことはありません。20代のころは「安野は将来、何かすごいことを成し遂げるのでは」と周囲に言われ、自分自身でもそんな気がしていました。当時のわたしは、米国の実業家のサクセスストーリーを読むのが好きで、近所の本屋に行ってはアンドリュー・カーネギー氏など、実業家の書籍を読みあさっていました。人生の目標にしたわけではありませんが、「人間には何かを生み出す可能性が秘められているのかもしれない」という気づきを、彼らのサクセスストーリーから得ることができました。

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わたしが最初に就職したのは、本田技研工業でした。同社で車の組立、品質管理、工務、修理などの仕事を経験しましたが、「自分は会社勤めにはあまり向いていない」と思い、23歳で退職。その後、親戚の紹介で始めたのが印鑑の訪問販売でした。これが、わたしの“商売人”としての第一歩です。

印鑑の訪問販売では、すべて独学で「営業テクニック」を磨きました。当時は象牙と黒水牛の印鑑が主流で、商品の謳い文句を自分で考えて印鑑を売っていました。あのころ、日本のサラリーマンの平均月収は3万円ほどでしたが、わたしは多い月には13万円以上の利益を稼ぎ出していました。自分の試行錯誤の結果が数字として表れることにやりがいを感じていました。

 

20代後半で金策に走った苦悩の日々

印鑑の販売は、企業の昼休みに食堂に入れてもらう職域販売がメインでした。そのため、企業の昼休み以外は印鑑を売ることができません。そこで空き時間を利用して始めたのが、陶器を中心にした訪問販売です。毎月異なる陶器をお届けする頒布会のチラシを個人宅に配り、1日に2~3件、多いときには7~8件の契約を獲得していきました。のちに商売仲間の顧客も引き受けることになり、600件近くの顧客を抱えていた時期もありました。

陶器の商売を始めて5年ほど経ったころ、同業者から「新聞折込チラシ」を活用しているという話を聞きました。早速わたしも実践したところ、地方は折込チラシの反応がよく、また陶器の仕入先も開拓したことにより、どんどん事業が拡大していったんです。29歳当時の年商は10億円。全国各地に事業所を展開し、印鑑販売と陶器の通信販売で規模を拡大していきました。

しかし、1、2年ほどすると、頒布会業界全体を“嵐”が直撃しました。業界全体の需要と供給のバランスが崩れて供給過多に陥り、商品が売れなくなってしまったんです。同業他社も業績が悪化し、倒産が相次ぎました。もちろん、わたしの会社も嵐に巻き込まれました。取引先をはじめ、親族や知人からお金を借りても資金繰りが難しく、支払期限を延ばしてもらうこともたびたびありました。それでも苦しくて、土地の権利証を担保に社員から借金したこともありました。夜中に目が覚めて「手形が落ちないかもしれない」と不安になるなど、寝ても覚めてもお金のことで頭がいっぱいでした。

半年間ほど自転車操業を続けた末、弁護士に相談しました。すると「そんな事業は今すぐやめろ」と一喝され、「会社整理申立」をすることになりました。その結果、債務20万円以下の小口債務者には支払うが、その他の債務者には支払いを中止することを裁判所から命令されました。銀行などの金融機関に対しては、担保もあったので完済することができました。この経験を通してわかったのは、“お金を借りるために頭を下げること”は、この世で最も辛いことということでした。

 

新事業を始めるときは、チームは全員素人

現在のベルーナの原型とも言えるアパレル通販事業を始めたのは、1983年です。当時は、ショーツやブラウス、エプロンなどを販売していました。その後、さまざまな企業がカタログを作り始めたのをきっかけに、当社もカタログ事業に乗り出しました。プロジェクトチームのメンバーは、わたしとアシスタントの女性2名のみです。全員がカタログ事業の初心者でした。

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当初は思うように売上が伸びず、苦心しました。当社が主に取り組んできたチラシ作りとカタログ作りとでは勝手が異なり、試行錯誤の連続でした。カタログは、チラシに比べて1商品を取り上げられる紙面の面積が大きく、商品の配置の感覚をつかむまでに時間がかかってしまったのです。

そんな中、小さなヒットにつながったのが「プチ・ベルーナ」です。これはチラシの売れ筋商品を小さな冊子にまとめたもので、いわばチラシとカタログのハイブリット誌でした。そのほか、陶器通販時代に主流だったセット売り(商品を毎月届ける頒布会ではなく、シリーズ全品を届ける販売方式)なども活用しながら、カタログ作りに尽力しました。実際に売上が安定するまでに3~4年かかりました。

当社には、アパレルや家具・雑貨を販売する総合通販事業をはじめ、化粧品や健康食品、看護師向け用品、グルメ、ワインなど、さまざまな専門通販事業を展開しており、ワイン、日本酒、看護師向け用品においては通販業界トップを誇っています。新規事業を始める際、チームスタッフは全員未経験者で立ち上げるのが当社のスタイルです。まずは、その分野でトップを走る企業の「事例研究」を徹底的に行い、外部のプロにアドバイスをもらいながら、新たな事業に取り組んでいます。新規事業を任されたスタッフが一生懸命取り組む姿勢を見て、周囲のモチベーションもアップします。新規事業が成長を続けているのは、スタッフが一生懸命働いてくれたおかげですね。

 

「災い転じて福となす」逆境こそチャンスに変えるべし

近年は、さまざまな自然災害をはじめ、運送業界を揺るがした「物流ショック」など、通販業界にとって“逆境”とも言える出来事が続いています。そんな逆境でこそ、スタッフには「災い転じて福となす」ということばに向き合ってほしいと思っています。災いに直面すると、人はそれを克服するために、新しい気づきと発想力を発揮するものです。そもそも災いは嘆いて消えるものではありません。逆境を成長するチャンスと捉えてほしいと思い、このことばを「ベルーナ語録」として社員に共有しています。

わたし自身も、20代のころに降り掛かった災いを乗り越えたことで、逆境を成長するチャンスと捉えられるようになりました。若い人には、楽しさと厳しさ、大きなスケールを持って仕事に取り組んでほしいですね。苦しさや厳しさは、自分の血肉となるはずです。

 

■会社概要:株式会社 ベルーナ
本社所在地:埼玉県上尾市
創業:1968年(昭和43年)9月
設立:1977年(昭和52年)6月
資本金:106億1,200万円
上場証券取引所:東京証券取引所 第1部
代表者:代表取締役社長 安野清
売上高:1,616億7,300万円(2018年3月期連結)
従業員数1,742名(2018年3月期 連結)
事業内容:総合通販事業、専門通販事業、店舗販売事業、ソリューション事業、ファイナンス事業、プロパティ事業など

■プロフィール:安野清(ヤスノ・キヨシ)
1944年(昭和19年)、埼玉県上尾市生まれ。埼玉総合職業訓練所を経て本田技研工業入社、23歳で印鑑の販売で起業。1968年(昭和43年)、友華堂(現・株式会社ベルーナ)創業、1994年(平成6年)、店頭公開。2018年3月期売上高1616.7億円の総合通販NO.1企業に育てる。2018年、モルディブに日本人で初めてホテルを開業。現在、日本アイスランド協会会長。趣味は温泉巡りとゴルフ。

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