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オハヨー乳業 マーケティング戦略本部カテゴリー戦略2部 部長 松山吉孝氏
アイスに焦げ目はつけられるのか!?――開発チームの“想い”が生んだパリパリ食感

市場の常識を変えるような華々しいプロダクトやサービスが日々メディアに取り上げられる今日。その裏では無数の挑戦や試行錯誤があったはずです。「イノベーター列伝」では、既存市場の競争軸を変える挑戦、新しい習慣を根付かせるような試み、新たなカテゴリーの創出に取り組む「イノベーター」のストーリーに迫ります。今回話を伺ったのは、牛乳・乳製品の製造・販売を手がけるオハヨー乳業でプレミアムアイス「BRULEE(ブリュレ)」の開発に携わった松山吉孝氏。BRULEEは日本食糧新聞の「優秀ヒット賞」を受賞しましたが、人気のあまり製造が追いつかなくなり、発売1カ月後には販売休止となった過去もあるほどです。ヒット商品を生み出すまでの開発の苦悩についてお聞きしました。

 

商品開発で最も大切なこととは!?

「モノづくり」への興味と、出身地である岡山の産業にかかわりたいという想いから、同地に拠点を構えるオハヨー乳業を志望しました。1998年の入社後に配属された製造部では、開発部門が作った商品の量産が主な仕事でした。当時は、食品偽装や集団食中毒などの事件・事故もあり、乳製品の安全性への注目度が特に高まっていた時期でした。そのため、製造工程のチェックも一段と厳格になり、多忙な日々を過ごしていましたが、「このような時代の変革期にこの仕事をできることを誇りに思え」という先輩社員からの一言に触発され、精力的に働いていました。

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その後、商品開発を担当する企画開発部に異動しました。開発部の仕事は、新商品や商品リニューアルを企画する、いわば「ゼロを1にする仕事」です。開発部が最も大切にしているのは、商品を消費者に届けるための“想い”です。異動したばかりのころは、わたしが考えた企画案に対して「お前はこの商品に対してどんな想いを持っているんだ。だれに届けたいんだ」と、先輩社員から毎回質問されていたことをいまも思い出します。商品の製造や工程の課題を解決する製造の業務とは考え方がまったく異なっていたので、慣れるまでは苦労の連続でしたね。

一方で、オハヨー乳業には、新商品への確固たる想いがあれば前例のない商品でもプロジェクトを立ち上げることができるという、チャレンジ精神旺盛な社風があります。そのため、周囲の開発メンバーが血眼になって新しいことに挑戦する姿勢は、自分自身のモチベーションアップにつながりました。先輩社員の言う「想い」の大切さを感じながら、必死になって仕事に励んでいましたね。決して楽ではありませんでしたが、毎日が充実していました。

 

15年前の失敗を胸に取り組んだ「BRULEE」開発

BRULEEもまた、当社の新たな挑戦の1つでした。BRULEEは、フランス語で「焦がした」という意味があり、フランス菓子の「クレームブリュレ」は、カスタードクリームの表面を焦がした(キャラメリゼした)定番のデザート。BRULEEを発案をした若手社員も、当初はクレームブリュレと同じように、カスタードやプリンの上を焦がしてキャラメリゼした商品をつくるつもりだったのですが、試作してみるとうまくいきませんでした。砂糖を焦がしたキャラメリゼは、時間が経つとカスタードの水分で溶けてしまい「パキパキ」という独特な食感がなくなるため、市販化には向かないことが判明したのです。

そのためBRULEEの商品化は頓挫しかけたのですが、「これまでだれもなしえていない商品化を実現し、多くの人に届けたい」という発案者の強い“想い”と、会社の気風でもあるチャレンジ精神にも火がついたことで、部門を横断した大きなプロジェクトが立ち上がりました。

また、30年前にもアイスを焼いた自社製品が存在していたこともプロジェクトを後押ししました。当時のレシピから「プリンなどの洋生菓子ではなく、アイスなら実現可能なのでは」というヒントを得て、BRULEEの開発が本格的にスタートしたんです。30年前のレシピを見つけたときは、「当時の開発者たちもすごい技術を持っていたんだ。自分たちも負けられない」と熱い想いがこみ上げてきましたね。

しかし、言うは易く行うは難し。手作りならば、アイスを焼いて表面に美しい焦げ目がつけられても、量産化に必要な“味の安定性と均一化”の面で、一定のクオリティを保つことができませんでした。設備を新たに導入し、微調整しながら開発を進めましたが、失敗の繰り返しでした。「どうしてアイスを焼くなんて言っちゃったんだろうね」と、苦笑した日もありました(笑)。しかし、だれ一人としてあきらめることはありませんでした。トライ・アンド・エラーを続けるうちに、開発部はもちろん、製造部や品質管理部、さらに営業部門などプロジェクトにかかわる社員の気持ちが1つになっていったのは印象的でしたね。

社員一丸となってBRULEEの開発に取り組んだ結果、ようやく量産化のメドがつき、本格始動から1年半後の2017年に発売することになりました。発案者の構想期間も含めると、6年の月日が経っていました。

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実は、わたし自身も約20年前に「焼アイス」という商品の開発に携わった過去があります。しかし、ひっそりと販売は終了。いまでも「BRULEEのようにもっと多くのメンバーを巻き込んで“想い”を共有していれば、違う結果が得られたのでは」と考えることがあります。こうした失敗経験があったからこそ、わたし自身もBRULEEの商品開発に本気になれたのかもしれません。

 

あまりの人気ぶりに販売休止

2017年4月に発売したBRULEEは、「パリパリ食感がおいしい」「初めて食べる食感」「アイスのほどよい甘さがいい」などの声をいただき、大きな反響を呼びました。しかし、ありがたいことに販売計画を大幅に上回る売れ行きとなり、原料や容器などの供給が追いつかず、発売から1カ月も経たないうちに販売は休止。休止が決まったときは、焦りやショックよりも「早く販売を再開しなければ」という気持ちが強く、わたしは製造部とともに課題を洗い出すことに徹しました。製造部時代の経験があったからこそ、冷静に対処できたのかもしれません。もちろん、周囲のフォローも心強かったです。

再販が決まったのは5カ月後の2017年10月。実は、食品業界には「一度販売を休止した商品は再販してもうまくいかない」という定説があります。そのため、再販前にポップアップストアを展開するなど地道なプロモーションを行いました。再販時には多少の不安もありましたが、製造面の課題もクリアして20~30代の女性を中心にご購入いただいています。いまでは、オハヨー乳業の新ブランドとしての認知を確立しつつあります。

もちろん、現状で満足することはありません。2019年春には「BRULEE」のリニューアルと、新フレーバーとして「BRULEEチョコレート」の販売を予定しています。BRULEEはフレーバーの味によって焼き加減が変わってしまうので、新たなフレーバーを加えるときも新商品を作るのと同程度の労力がかかりました。それでも、納得がいく本物を作るまで、だれも無理とは言わない。それが、当社の強みであり、商品への誇りなのかもしれません。

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■会社概要:オハヨー乳業株式会社
本社所在地:岡山県岡山市
設立:1953(昭和28)年6月29日
代表者:代表取締役社長 野津基弘
資本金:1億円
売上高:503億円(2018年3月期)
従業員:879名(2018年3月現在)
事業概要:牛乳・乳製品の製造・販売

■プロフィール:松山吉孝(マツヤマ・ヨシタカ)
オハヨー乳業株式会社 マーケティング戦略本部カテゴリー戦略2部部長。1998年に入社後、製造部を経て開発部に異動。さまざまな商品開発に携わり、現在は人気商品「BRULEE」のマーケティングを担当。

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