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水景デザイナー アクア環境システムTOJO 代表取締役会長 東城久幸氏
アクアリウムで世界を癒やしたい――水景デザイナーの波乱万丈人生

市場の常識を変えるような華々しいプロダクトやサービスが日々メディアに取り上げられる今日。その裏では、無数の挑戦や試行錯誤があったはずです。「イノベーター列伝」では、既存市場の競争軸を変える挑戦、新しい習慣を根付かせるような試み、新たなカテゴリの創出に取り組む「イノベーター」のストーリーに迫ります。今回話を伺ったのは、水景デザイナーでアクア環境システムTOJO 代表取締役会長の東城久幸氏。熱帯魚や水草はもちろん、アーティフィシャルフラワーを使ったアレンジメントなど、華やかで幻想的なアクアリウムを手掛けています。アクアリウム界の先駆者である同氏の波乱万丈な人生を振り返りました。

 

猫といっしょに過ごした幼少期

いまの自分を形成した要素で最も大きいのは、飼い猫と過ごした幼少時代。母は3歳のときに死別しました。父は仕事が忙しく、帰ってこない日もあるほどでした。そのため、三毛猫の「ミーコ」と毎日いっしょにいました。思い返せば、猫に“育てられた”という特殊な状況が、普通とはちょっと違う感覚を持たせてくれたんだと思います。ミーコはわたしが中学1年生のときに天国へ旅立ってしまったのですが、悲しくて何日も泣いて過ごしました。

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中学時代は音楽、特に1960年代から70年代の洋楽を中心に聴いており、特にビートルズに夢中になりました。また、ザ・モンキーズのボーカルを務めていたデイビー・ジョーンズにもあこがれていました。音楽の才能はもちろん、おちゃらけているのに根はまじめというかわいらしいキャラクターに魅力を感じていました。

高校卒業後は電算機の専門学校へ進みました。鉄鋼関係の工場長をしていた父親の勧めもあり、まだ“コンピュータ”なんて単語すら浸透していない時代にプログラミングを学びました。ところが、そこは普通の大学とは異なるビジネススクール。授業を受けるときはスーツ着用でネクタイを締めなければならないなど服装や髪型の規則が厳しく、またプログラミングにもあまり興味が持てず、とにかく嫌でした(笑)。

その後、夜間の美容専門学校に移り、昼間は美容サロンでアルバイトしていました。卒業後は美容師となり、そして1年後には、営業不振で店をたたもうとしていたオーナーから店舗を買い取り、23歳でオーナーになりました。そのころは雑誌の取材を受けることも多く、今でいう“カリスマ美容師”といったところ。正直、天狗になっていた部分もあったと思います。

加えて、「もっと自分で何かしたい」という独立心が絶えずありました。インベーダーゲームの流行に乗る形でゲームセンターの経営に乗り出したほか、友達のロックバンドのマネージャーを務めたりもしました。

美容室は13年間営業したのですが、ビルの建設により立ち退かなければならず、それを機にきっぱりとやめました。ちょうどそのころ、ボウリングにはまっていました。女子プロボウラーの中山律子さんが活躍していた時代ですね。ボウリング場でメカニック担当として働きつつ、マイボールとマイシューズを買って、毎日、空き時間に投げていました。

当時は、ボウリングが五輪の正式種目になるという話もあり、「やるからには、五輪出場を目指そう」と本気で思っていました。毎日15ゲームほど投げてから、夜は10キロのランニングを行い、ナショナルメンバー入りを目標にがんばりました。しかし、東京都の強化指定選手にはなったものの、結局ナショナルメンバーには選ばれませんでした。どんなに努力してもかなわないことがあることを思い知り、ボウリングもきっぱりとやめることにしました。

 

汚れた水槽からビジネスアイデアがひらめく

ボウリングの夢を断ち、「この先、何をして生きていこうか」と悩んでいたとき、ふと目に入ったのが自宅にあった熱帯魚の水槽でした。それがすごく汚れていたんです。「きれいにしなきゃ」と思ってそうじを始めた瞬間、「これはビジネスになる!」とひらめきました。自分が面倒だと思うことは、だれかにやってもらえたら喜ばれるはず――そんな発想から始まって、水槽のメンテナンスについて調べました。わたしが38歳のときです。そのころは水槽のメンテナンスを専業とする会社はありませんでした。

飛び込み営業を始めて5、6件目にしてつかんだ初めてのお客様は調剤薬局でした。「ちょうど水槽を置きたいと思っていたんですよ」と快く発注してくださったんです。こうして第一歩を踏み出したのですが、見本も何もないゼロからのスタート。今なら2~3時間でできる設置作業に10時間以上かかってしまったり、月1回で済むと見込んでいたメンテナンス作業が週1回は必要だったりと、想定外のことが次々と起こりました。しかし、とにかくやってみることで、だんだん自分の中でナレッジが蓄積されていきました。

メンテナンス業をするうちに、水槽のレイアウトコンテストがあることを知って興味を持ちました。「水槽の中をもっときれいにしてみたい」という思いが“水景デザイナー”の原点です。ちなみにこの肩書は水槽メンテナンスだけでなく、高いデザイン性を持ったアクアリウムを提供できることを表現したくて名乗り始めた独自の呼称です。コンテストでは、初出場にもかかわらず準優勝をいただきました。

その後も毎年出場したのですが、なぜか準優勝ばかりでずっと悔しい思いをしていました。しかし、いま思うと、早い段階で優勝していたら飽きてしまったのではないかと思います。結局、11回連続で準優勝となり、「今年も優勝できないかもしれない」と思いながら、やや力を抜いて応募した作品が部門優勝を飛び越えて総合優勝を獲りました。技術的に認められたことで、その後は注文が急増。メディアにも取り上げられ、テレビ番組に出演したときは1週間に300件もの問い合わせがありました。

 

志を同じくする弟子たちとつながる“ファミリー”

知名度が上がると、募集をかけてもいないのに「教えてください」と若い人が集まってくるようになりました。熱帯魚ショップも始めて、どんどん人が増えていったのですが、そのタイミングで経営が苦しくなり始めました。本来であれば、人数が増えて事業も拡大し、業績は拡大するはずですよね。原因を考えると、人が多ければ多いほど、さらに全員がサラリーマンだからこそ、みんな自分の給料の範囲内でしか仕事をしないことに気づいたんです。「どうすればお客さんに喜ばれるか」を自発的に考えて行動する人が少ないんですよね。

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そのころ、福岡から問い合わせがあったのですが、わたしの会社は東京を活動拠点にしていたため、お断りせざるをえませんでした。それが歯がゆくて、自分と同じ志を持った人たちと全国展開ができないかと考えたのが、自分の技術やノウハウを伝承する形でのフランチャイズ展開です。当時のスタッフたちからは反対されましたが、いまや北海道から沖縄、海外まで120組が加盟店“TOJOファミリー”として約5,000件のお客さんを抱えています。

TOJOファミリーへ加盟するには、約5日間の研修が必要です。独自に発行する認定資格を得ることでフランチャイズの水景デザイナーとなります。スキルアップのために定期的に勉強会を開催するほか、お客さんの水槽を撮影したフォトコンテストを年1回開催するなど、ファミリーどうしの交流も図っています。

 

まだまだ立ち止まらない挑戦の日々

近年は「アクアリウムセラピー」の効果を提唱しています。熱帯魚の水槽を見て喜ぶお客様の姿を見ながら、“癒やし”以上の未知の効果があると確信してはいたのですが、それが何かわからずにいました。あるとき、アルツハイマー病の女性がアクアリウムを見て5年ぶりにことばを発したという海外の事例を知り、長年感じていた“癒やし”は、脳の仕組みに関係しているのではないかと気づいたんです。

そこで、お客さんでもあった医師の方に聞いたところ、熱帯魚が泳ぐ水槽を見てリラックスした状態になると脳からシータ波が出て心地よさを感じるようになり、レム睡眠状態になることがわかりました。現在、このアクアリウムセラピーを追求した「大人のヒーリング水族館」のオープンを目指して、準備を進めています。

また、2019年春には、色鉛筆で描いた絵本「シロコリぽんたの大冒険」(みなみ出版)を発売します。たくさんのことに挑戦し、うまくいかなくてもまた挑戦して……。ずっと突っ走ってきた人生なので、これからも「自分らしさとは何か」をとことん追求していきたいです。自分自身を甘やかすことなく、挑戦を続けていきたいですね。

 

■会社概要:株式会社アクア環境システムTOJO
本社所在地:東京都品川区
設立:1995年7月
代表者:代表取締役会長 東城久幸
資本金:4,730万円
事業内容:アクアリウム水槽のレンタル、リース、メンテナンス、販売、企画、コンサルティング、写真・映像の制作、TOJOスクールの運営(水景デザイナー資格の発行・管理)、イベント・ミニ水族館の設計管理など

■プロフィール:東城久幸(トウジョウ・ヒサユキ)
株式会社アクア環境システムTOJO 代表取締役会長
さまざまな場所に水槽の設置を根づかせ、水と自然と魚をアートにまで高めたアクアリウム界の草分けで、日本を代表する水景デザイナー。水景フォトグラファーとしても活躍している。

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