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アウトドアスタイル・クリエイター 四角友里氏
山の魅力を通して女性を笑顔に――山ガールブームの火付け役が目指す頂

市場の常識を変えるような華々しいプロダクトやサービスが日々メディアに取り上げられる今日。その裏では、無数の挑戦や試行錯誤があったはずです。「イノベーター列伝」では、既存の市場を一変させる挑戦や、新しい習慣を根付かせるような試み、新たなカテゴリの創出に取り組む「イノベーター」のストーリーに迫ります。今回話を伺ったのは、アウトドアスタイル・クリエイターの四角友里氏。同氏は、日本であまり浸透していなかった登山用ウェア「山スカート」を世に広め、山ガールブームの火付け役となりました。道なき道を開拓する四角氏に、人生において大切にしていることを聞きました。

 

「だれかを笑顔にする人になりたい」という理想

子どものころの夢は、エレクトーンの先生になることでした。ところが、そのために必要な講師資格を、中学生のときに取得することができたんです。資格があるからといってすぐに先生になれるわけではありませんが、わずか15歳にして夢が叶ってしまいました。そこで、将来についてもう一度じっくり考えてみました。その結果、重要なのは「なりたい職業」ではなく、「将来どんな人になりたいか」ということなのでは、と考えるようになりました。そこで導き出した自分なりの答えが、「だれかを笑顔にする人になりたい」ということ。とても単純明快ですが、今でも大切にしている目標です。

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大学を卒業して、キャラクターグッズを企画・販売するサンリオに2002年に入社しました。キャラクターグッズを通して多くの人を笑顔にしていることが、同社を志望した理由でした。入社後は商品企画部に配属され、生活雑貨など大人の女性向けグッズのプランナーになりました。ものづくりをしながら、グッズを使ってくださる方のニコッとなる瞬間を想像するのがうれしくて、ほんとうにやりがいを感じていましたね。しかし、入社4年目に体調を崩してサンリオを退職。仕事はとても楽しかったのですが、がんばりすぎて無理がたたってしまったようです。

その後、わたしが就いた仕事は「着物の着付け師」でした。着付け師を目指すきっかけになったのは、元同僚の結婚式に参加する際に、着物を着付けてくださった先生でした。母の思い出の着物を着る予定だったのですが、わたしの身長が高すぎて、「丈が合わない」と何名かの着付け師の方に断られてしまったんです。着付けが難しい状況にもかかわらず、この先生だけはわたしの想いを汲み取り、技を駆使してうまく着付けてくださいました。大胆な転身と思われるかもしれませんが、その経験によって「着物を身にまとうと女性は笑顔になる」と感じたのが、着付けに興味を持った理由でした。

そのときの先生に弟子入りするかたちで、2006年から着付けの勉強を開始。当時は、平日は着物を着て、休日は趣味で山に登るという日々でしたね。

 

山でも自分らしくいたい

わたしが山登りにのめり込んだのは、2003年のことでした。まだサンリオで働いていたころに、北アルプスにある上高地の散策路を歩いたことがきっかけでした。上高地での体験は、それまでのキャンプなどのアウトドアとはまったく別物で、翡翠(ひすい)色の川や初夏なのに雪をかぶった山頂などすべてが美しく、「大きな自然に抱かれている幸せ」を実感したんです。山の魅力に気づいてから、わたしの人生はすごくカラフルになりました。

その後も、さまざまな山に行く中で、2004年に出会ったのが「山スカート」でした。ニュージーランドでトレッキングをしているときに、スカートをはいている女性を見かけたんです。当時、日本のアウトドアウェアはズボンが基本スタイルで、男性と同じようなデザインのものがほとんど。そんななかで、山でスカートをはいた女性を見た瞬間に「山でもオシャレをあきらめないでいいんだ」と感動したのを覚えています。

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早速、わたしも山スカートを購入し、山に登ってみました。すると、単にかわいいだけではなく、着替えやトイレのときに目隠しになってとても便利、かつ足の運びがスムーズになることがわかりました。機能性もある山スカートは、わたしのモチベーションや能力を上げてくれるマストアイテムになりました。

以降、海外から山スカートを取り寄せては、山で試しばきをする日々に突入しました。比較していくと、「タイツと相性が悪いもの」や、「キャンプにはいいけれど登山には向かないもの」などがあることがわかり、商品の仕様や使用感を自分のためにスペック情報としてまとめていきました。あくまで個人用の情報なのですが、もともとのオタク気質も相まって、かなりの自己投資をして山スカートの研究を重ねました(笑)。

 

「スカートで登山は危険」「ファッション感覚で山に登るな」という批判の声

そのうち、「山スカートをもっと多くの人に知ってもらいたい!」と考えるようになり、思い切って山スカートの企画書をアウトドアウェアブランドやアウトドア雑誌に持ち込んでみました。ちょうど2005年あたりから夏フェスが人気を博しており、アウトドアウェアに大きな注目が集まっていました。そうした追い風もあり、山スカートをはく“山ガール”の特集や、わたしの山登りスタイルを雑誌に掲載してもらうなど、2009年ごろから、空前の“山スカートブーム”が到来しました。

ただ、山スカートや山ガールが増えるようになると、一部の山岳関係者から、厳しい批判を受けるようになりました。批判の理由は、「スカートでの山登りは危険」「ファッション感覚で山に登るな」というものがほとんど。たしかに、自然はときに厳しく、熟練の登山者でも何が起きるかわからない世界です。そんななかで、「山スカートがかわいい」という理由で山に登ってほしくなかったのかもしれません。もちろん、わたし自身も山登りでは安全を第一に考えたうえでファッションを楽しむものだと思っています。

しかし、山登りを「ハードルの高い趣味」だと感じている人に、山スカートをツールとし、一歩を踏み出した先にある自然と触れ合う喜びを感じてもらいたくて、あきらめることができませんでした。

ただ、山スカートへの賛否両論が起こり、ファッション性が独り歩きしてゆくことに不安もありました。そこで「アウトドアギアとしてのスカートのメリットとデメリット、使い方をきちんと伝えなくては」と考えました。そこで、わたしが個人的に研究していた「山スカートのスペック情報」を、自分のホームページ上に公開したんです。その結果、利用者の知識が底上げされ、山スカートへの理解が少しずつ広まっていきました。

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もちろん、一度も心が折れなかったわけではなく、痛烈な批判を受けている時期は、精神的に追い詰められました。そんなときに心の支えになったのは「山ガールの笑顔」でした。自然の中をさっそうと歩く山ガールと出逢うようになったり、山スカートをはいた写真をわたしに送ってくれたりする方々もたくさんいたんです。写真には、みなさんの楽しそうな笑顔があふれており、「この活動は、だれかを笑顔にしている」と思えてがんばることができました。やはり、わたしの人生には「だれかの笑顔」は欠かせないものなのです。

その後、山スカートブームは落ち着き、現在では定番のアイテムになっています。高齢の女性が山スカートをはいて登っている姿もよく見かけるようになりました。山の中でわたしが商品企画に携わったアイテムを持っている人を見ると、今後も女性が山登りを楽しめるウェアやギアづくりをしていきたいと感じます。

実は、アイテムを企画するうえでは、着物から学んだことが活かされています。着物には四季折々の自然に準じた決まりがあり、季節によって身に付ける柄や素材が違います。山の中でも、日本特有のきれいな自然の色を身にまとい、自然に寄り添い、楽しんでほしい。そんな想いを込めてギアづくりに取り組んでいます。

また、これまで書籍を3冊執筆しましたが、根底にある想いはものづくりと同じです。自然を身近に感じてほしい、山のいろいろな楽しみ方を知ってほしいと思っています。わたしの本をきっかけに、読んだ方の自然に対する価値観が広がればうれしいです。

わたしの目的は山スカートを広めることではなく、多くの人に山の魅力を知ってもらうこと。そのためにいろいろ回り道をしているけれど、山登りと同じように、回り道をしたからこそ見える景色があると信じて、一歩ずつ歩んでいきたいです。

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「山登り12ヵ月」(山と渓谷社) 山の新しい楽しみ方を提案する四角友里さんの最新エッセイ
 

■プロフィール:四角友里(ヨスミ・ユリ)
アウトドアスタイル・クリエイター。「山スカート」を日本に広めた、女子登山ブームの火付け役。全国での講演活動や執筆、アウトドアウェア・ギアの企画開発などを手がける。着物着付け師としての顔ももつ。アウトドアブランド・マーモットとのコラボウェアは多くの女性登山愛好者の支持を受け、2014年には、自身がプロデュースしたフリースが米国のアウトドアギアコンテスト「POLARTEC® APEX Awards」を受賞するなど評価が高い。
著書:『デイリーアウトドア』『一歩ずつの山歩き入門』『山登り12ヵ月』

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